流れ去る過去を良いとこ取り
もう2018年の1ヶ月が終わってしもうた。
1ヶ月過ぎるのが早い、早すぎる。
時間の経過の早さにもビックリだけど、この1ヶ月本当に寒かった。
風邪を引かずに体調も崩さなかった私、ちょっと凄い。
最近の面白かったことは、大都会東京が真っ白になった次の日のこと。
朝、駅へ身震いしながら歩いていた。
すると前から小学生が歩いてきた。
突然、小学生が立ち止まり何をするのかと思うと、ずり下がっていた靴下を直した。
靴下を直して、私が通り過ぎる瞬間、信号が点滅していたのか小学生は慌てだした。
だが、小学生は慌てて走り出すよりも先に、傍にあった雪の塊を無邪気な顔をして踏んだ。
「!?!?!?」
何だか、面白かった。
「踏む必要あった!?君の登下校道にはまだまだ雪があるよ!?
今じゃなきゃだめ!?信号変わっちゃうじゃん!?」
きっと、「微笑ましいな~」で済むのだろうけど、面白すぎて吹き出してしまった。
多分、この面白さは実際に見ていない人たちには届かないだろうな…
東京の人には慣れぬ大雪で何だかあの何日間は騒がしかったけど、
あの小学生を見て、私は当時(雪国育ち)の自分を思い出し吹雪の中散歩に出た。
散歩中は、ミニスカートでタイツも履いていないJKを見て
「寒くないんすか?いやーマジリスペクトっす。風邪ひかないでね。」
東南アジア圏の出身のような方々が凄くはしゃいでいて
「この人たちは雪を見たことがなかったのかな~、だとしたら良かったね~」
とか、怒られそうなことを呑気に考えていた。
実は、2018年1月1日から、自分の身に起こった嬉しかったこと・友達から聞いた幸せそうなこと・自分が体験した日常の面白かったことを文字にして記録をするように心がけている。
だから、あの雪の日に見た小学生・JK・雪にはしゃぐ女性たちも簡単に文字に書き残した。
私は嬉しかったこと・面白かったことを思い出すのがどうも下手らしく、辛かったことや悲しかったことばかりを思い出すのが頻繁。
自分が自分で勝手に損していた。
星野源のエッセイ「そして生活はつづく」の文庫本版あとがきに
“「なにげない日常の中に素晴らしいものがある」どや顔でそんなことを言う人は苦手です。「なにげない日常」の中には「なにげない日常」しかない。素晴らしいものなんてない。その中から素晴らしさ、おもしろさを見いだすには、努力と根性がいります。黙ってても日常はおもしろくなってくれない。見つめ直し、向き合って、物事を拡大し新しい解釈を加えて日常を改めて制作していかなきゃならない。毎日をおもしろくするのは自分自身だし、それをやるには必死にならなきゃ何の意味もない。”
と書かれている。
私は今まで他人に面白さを求めていた面があった。自分から面白さを求めることをサボっていた。サボっているのに、「自分の人生なんてつまんねぇ」とか何とかウジウジしていたのも、もうやめだ。
そんな気持ち悪い自分から脱するためにも、まず一歩自分で日常を面白がるために上記のことを始めた。
始めて1ヶ月が経ったが、これが意外と面白い。今までよりも気分良いかもしれない。
先日、新しいバイトも決まった。
どこぞのI森Y高みたいに
「バイト決まりました――――‼‼‼‼‼」
って感じで、自分らしくない新しいことにチャレンジしている。
(すずめ「別府さん、祝賀会!」別府「やったー‼‼」と言えるような人はいない。笑)
そういうことも文字に記録する。
最近は寧ろ記録したいがために、頑張るみたいなところもある。
2018年末には記録したものを、全部見返して楽しみたい。
だから、
サボるなよ!自分!
イントロから最高。映画も観に行こうかな。
浅いけど、シングルは「恋」から初回限定盤揃えてクリアファイルも持ってる。
恋のカップリング「Continues」
Family Songのカップリング「肌」大好きです。