ラブレター(?)

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私が坂元裕二さんの作品に出会ったのは、2006年の『西遊記』が初めて。当時、私はまだ小学生で、もちろん坂元裕二という人の存在を認識していなかった。だけど、香取慎吾くんの孫悟空は最高に好きだったし、深津絵里さんの三蔵法師が凄く美しかったのを覚えている。私はその頃から坂元さんの「なまか」だったのかもしれない!(Wikipediaを見てやっと思い出した、観返したい)。その後は『Mother』『最高の離婚』『問題のあるレストラン』をリアルタイムで観ていて『カルテット』でようやく坂元さんの名前を知り、全てが繋がった。その後は、観ていなかった過去作も観て、立派なオタクになってしまったのだ。2017年は坂元裕二作品を観て過ごしていたと言っても過言じゃない!

 

 

2018年3月21日は、坂元裕二フリークの私にとって忘れられない日になった。『anone』最終話と共に”ちょっと連ドラはお休みします”と宣言したからだ。”4年前にそれを決めて、周囲にもそう話して、ずっと今日を目指してきました。”と言われちゃうと、『問題のあるレストラン』から『anone』までの流れには何か意味があったのではないか、とか、メッセージがあるのではないか、とか色々考え込んでしまう。4年前から決めていたということには、何故か大きいショックを感じた。やっぱり寂しい。

 

 

冬の風物詩にすらなっていた、坂元裕二脚本の冬ドラマ。もはや、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』→『カルテット』→『anone』が、三年連続3月21日に最終話を迎えているので、その日はそういう日にして良いのでは、とさえ思う。(『問題のあるレストラン』は惜しくも3月19日!)坂元裕二ファンの皆さんで署名を集めれば、何とかできるんじゃね!?(絶対坂元さんに迷惑。気持ち悪いオタクですよ、私は。)

 

 

『anone』が終わって早2週間経つけども、余韻が残っていて。何かメッセージがあったのでは、とか考えていて、今の時点で考えていることを綴りたい。

 

 

熱風(2017年6月号)における、特集:坂元裕二「テレビドラマ『カルテット』で描きたかったこと」のインタビューで私の心に引っかかったことがあった。

それが、以下の3か所。

 

 

“毎回いろんな事件とか社会問題も題材として入っているのですが、やっぱり描きたいのは人間のお話なので。結局、どんなに人の存在を理不尽に思っても、否定できない。人を否定してしまうと、ものを作る意義もなくなる。否定から偏った思想がうまれることだってある。登場人物の行いは否定しないように気を付けています。難しいですが…。自分で描いた人物に対して、「こういうことをする人間は存在しちゃいけないんだろうか」と絶望することだってもちろんあります。だけど、そこでその人から背を向けてしまうと、書けなくなるんです。魔が差すように思うこともあるんです。自分たちの世代で終わるなら、人間は終わってもいいんじゃないかとか。動物だけでいいんじゃないのとか。それは、もう本当に思うんですよね。僕は49歳ですけど、自分よりも下の世代がいなかったら、このまま人間消滅スイッチをぽんと押したいなと思う。でもやっぱり、今日生まれた赤ちゃんがいるのだと思うと、そういうものを否定してはいけないなという思いの上で、少なくとも書いています。”

 

 

“特に僕は、中学生や高校生に観てもらいたいと思って書いています。テレビの視聴者は、今はもう60代、70代が中心で、どんどん年齢が上がっていっているのが現状です。そういう中でもなんとか中高生に観てもらいたいなというのは、脚本家になってから一貫して唯一のターゲットです。彼らに向けて、生きることはむなしいとか、そういうことを最終的なメッセージとして届けるのはちょっと違いますよね。”

 

 

東京藝術大学でゼミを開き、新人の育成についてどう考えているか、との質問に対し

―“僕ももう30年やっているので、自分がその役目にふさわしいかどうかは分からないですけれど、何かできることがあれば力になりたいと思っています。脚本家は、今はほぼ、40歳以上しかいないので。僕が19歳でデビューした時だって、30歳くらいがメインだったんですよ。それが、今はもう40歳だと若い方で、多くはそれ以上ですよね。まあどこの世界もそうでしょうけれども、ちょっと高齢化が激しいです。僕自身そろそろどいた方がいいのかなと思うし、ここ何年かは引き際をどうすればいいのかをいつも考えています。でも「いつ恋」や「カルテット」を中高生が見たという話を聞いたりすると、やっぱり嬉しくて、辞めたい辞めたいと言いながらも続けてしまうんですよね。”

 

 

この3か所と直近4年間の流れを考えると、坂元さんは子どもたち・若者たちを重要視しているのでは、と思う。

 

個人的に、坂元さんの作品の中で異質だと思っているのは『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(以下、『いつ恋』)。リアルタイムで観ていなかった事を悔やみ、最近やっと初めて観たのだけど驚いた。坂元さんの功績が語られるのは2010年の『Mother』以降が多く(もちろんそれまでのドラマも評価されている)、その後はいわゆる社会問題を核としたドラマが多かった。『いつ恋』にも、若者の貧困・高齢者の介護etc…のような社会問題は散りばめられていたが、これほどまでに純度が高いラブストーリーは無かったと思う。プロデュース側(フジテレビ)も旬のキャストを起用し、明らかに若年層をターゲットにしていたと思う。

 

 

また、坂元さんの作品には悲しみを背負った子どもたちがほぼ毎作品にいる。

今、私が一番気になるのは『anone』の陽人だ。

父親がいない・周りの子どもだけでなく、先生すら自分の声を聞いてくれない学校・ダメな方の手で書く猫の絵・自分が使用した赤いライターが引き起こした火事で、隣人を死なせたかもしれない・大好きな理市との別れ。理市が嘘の記憶を陽人に植え付けようとしていたが、はたしてそんなことはできるのだろうか。綺麗な海辺・理市から貰ったカラスのキーホルダー。海辺を見ればキーホルダーを見れば理市のことを思い出し、あの火事のことも思い出すのではないだろうか。そうなってしまうと陽人は、モヤモヤや理市が自分の罪を背負ったのではという罪悪感を今後抱きながら生きてゆかねばならない。亜乃音さんはハリカのもとに帰ったし、そこにはるい子さんもいる。亜乃音さんと玲さんの溝は以前よりも修復されたような終わり方だったが、今後一番長く生きるであろう・一番小さな陽人への残酷な未来があるかもしれないと思うと、私にはどうもハッピーエンドとは言い切れない。

 

そんな陽人は今後どう生きてゆけばよいのか。きっと答えは見つからないだろう。

 

だが、これまで坂元さんが紡いできた物語には、人と繋がることに苦手意識を感じても、自分のことが嫌いでも、不器用ながらも人と関わったり、恋をして残酷かもしれない未来を少しでも良い未来に変えようと、懸命に生きて・暮らしてきた人達がたくさんいた。

陽人にもこれから様々な試練が待ち受けているとは思うが、亜乃音さん・ハリカ・玲さんが傍にいてあげてほしいし、これから出会うたくさんの人たちと未来を紡いでいってほしい。

 

 

“私たちは被害者家族と加害者家族だけど、同じ乗り物に乗っていて一生降りることはできない。じゃあ…行先は一緒に考えないと。”

 

これは、『それでも、生きてゆく』10話における響子(大竹しのぶ)から隆美(風吹ジュン)への言葉。ずっと憎み合ってきた双方が、そっと手を取り合う素晴らしいシーン。

これは、今を生きる私たち(被害者家族・加害者家族でなくても)が、大切にすべき言葉じゃないだろうか。

 

 

昨今、“多様性を認めよう”という流れが大きくなっている。この世は、様々な人格を持つ人達が複雑に絡み合いながら形成されている。あまりにも複雑に絡み合っているので、到底理解をし合うことは不可能に近いと思う。そんな不可能に近いからこそ、私たちは一緒に考えながら生きてゆくべきなのではないだろうか。不可能だからと考えることをやめると、きっと今後何も変わらないだろう。少しでも考えて思いやりを持つように心がけたり、知ることが重要じゃないかと思う。

 

 

坂元さんは、私に大切なことを沢山教えてくれ、気付かせてくれた。

今を生きる人たち、今後生まれてくる子どもたちに思いやりを持って接することを心がけて、暮らしていきたいと思う。

 

 

坂元さん、一旦お疲れさまでした。

朗読劇、映画楽しみにしてますよ!

タイミングが合わない方々もいるだろうから、朗読劇・映画はロングラン希望です!

坂元さんファンは沢山いるから、朗読劇・映画の素晴らしさを共有したいの!